渡航の手引き

マラリア日記

深澤秀夫(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所, 日本マダガスカル協会監事)

初出:
『マダガスカル研究懇談会ニュースレター』 創刊号 1999年 pp.12-13
『マダガスカル研究懇談会ニュースレター』 第2号 1999年 pp. 7-12
『マダガスカル研究懇談会ニュースレター』 第3号 2000年 pp.12-15  を基に一部加筆・修正

マラリア日記2

1983年12月22日よりマハザンガの町から道のりで537km離れた 州北部の一農村にて、社会人類学のフィールド・ワークを開始する。住み込んだ農村は、病院や市場・商店またタクシー・ブルースの発着所のある県庁所在地の町からは7kmの距離にあり、徒歩で乾季であれば1時間20分、雨季であれば1時間30分以上を必要とする。村では、マダガスカル人の家族のもとに下宿していたため、村人と全く同じ食事を摂っていた。マラリア予防策としては、ベッドに蚊帳を吊り、一週間に一回クロロキン製剤であるニヴァキンを規定量の3錠正確に服用していた。

住み込んで87日めの1984年3月17日(土)

12時20分昼食。海魚の干物のココナッツミルク煮。全て平らげる。ウリを食後に食べる。美味しい。その後、何とも言えない頭痛がする。3時すぎぞくぞくと寒気がする。4時に検温38・4度。関節も痛む。5時から6時にかけて40度かそれ以上に体温が上昇したように感じられ、不安感とも孤独感ともつかない感情がつのる。7時20分夕食、牛肉とアナマファーナ(インド・クレッソン)のスープ。肉の臭いを嗅ぐと吐き気がするめおかずには手をつけず。ご飯だけ皿に四割ほど食べる。身体が火照り息苦しい。ベッドに横になっていても暴れだしたいような気分。9時頃から汗が出て体温が下がり気分が楽になる。0時10分眠る。

1983年3月18日(日)

6時12分、体温37・8度。頭痛が少し楽になる。朝食は夕食の残りもの。脂っこさが嫌で残す。12時20分、昼食。ルージ(豆の一種)と牛肉の煮込み。食欲はないものの、全て食べる。ツアモーツ(柑橘類の一種で比較的酸味が強い)を二個食べる。かすかに甘く美味しい。4時、体温37・1度。7時20分、夕食。ルージの煮込み。ご飯とおかずを半分ほど食べる。夕食後、予防のために毎週服用しているニヴァキン3錠を飲む。バナナ一本を食べる。11時20分眠る。

1983年3月19日(月)

6時、体温38・2度。夜から熱の上がったことがわかる。下痢。7時、朝食。ルージの煮込みと茹でたキャッサバとムカーリ(米粉を水に溶き型に入れて焼いたもの)。キャッサバとムカーリとご飯半分を食べる。おかずは食べず。熱はあるものの気分はそれほど悪くはない。1時、昼食。生の川魚を搗いたマニオクの葉と煮込んだおかずとトウモロコシを一度茹でてから天日干しにしまた煮たもの。一口も食べず。吐き気はないが食欲はわかない。ラヌンアンパング(鍋のおこげ飯に水をさして沸かしたもの)だけ飲む。4時から5時半頃までひどく身体が熱く、また息苦しい。意識が朦朧とし目を閉じた視界が白くなる。この時、日本語かマダガスカル語で絶えず何事かをうわごとのようにしゃべり続ける。6時30分、夕食。生の川魚の唐揚げと搗いたマニオクの葉と川魚を煮たおかず。油くさいものの臭いに耐えられず、ご飯とおかずに全く手をつけない。ラヌンアンパングを飲む。少し吐き気がする。7時25分、眠る。夜間に4〜5回小便をし、その度に水を飲む。ひどく喉が乾く。寝汗がでてから気分が多少楽になる。

1983年3月20日(火)

6時、体温38・1度。吐き気は消えるが、軽い頭痛が残る。7時、朝食。お粥とバナナ二本。お粥に砂糖をかけ八割ほどとバナナ一本を食べるが、これでも胃には重たすぎる。9時30分、体温37・2度。1時40分、昼食。カボチャの葉とルージとアナマファーナの煮込み。ご飯とおかずを二割ほど食べる。7時、夕食。カボチャの煮込みと昼食の残り物。ご飯を一皿食べたものの、おかずは半分ほどしか食べられない。 10時10分、眠る。

1983年3月21日(水)

6時、体温36・9度。気分はいいものの、食欲がない。6時40分、朝食。お粥。二割ほど食べる。12時、体温37・5度。少し頭痛がする。12時40分、昼食。ルージの煮込み。4時20分、体温38・2度。喉が乾き、身体が火照る。風邪と思いバッファリン2錠とクロロマイセチン2錠を服用する。7時40分、夕食。川魚とマニオクの葉を搗いたものの煮込み。おかずを二割にご飯を三割しか食べられず。8時頃から40度代の熱。9時30分頃から汗が大量にでる。心臓の鼓動が激しく速い。小便をして水を飲むことを2〜3回繰り返す。クロロマイセチン2錠を服用。0時30分床に就く。  

1983年3月22日(木)

殆ど寝付けず。喉がひどく乾き、小便と飲水を繰り返す。心臓の鼓動が高まる。明け方に汗をかき少し気分がよくなる。6時10分、体温38・6度、脈拍100/分。クロロマイセチン服用。食欲なし。7時、朝食。生の川魚とキャッサバの葉を搗いたものの煮込みとムフラーヴィナ(バナナと米粉を搗きバナナの葉に包んで茹でたもの)。ムフラーヴィナをひとつだけ食べる。10時30分、体温37・5度。汗が出て気持ちがよくなる。脈拍98。クロロマイセチン服用。村に居ては十分な休養も栄養もとれないと考え、外国人登録証の書き換えにあわせアンタナナリヴに行く途中、マハザンガの大洋漁業(現在のマルハ)の船員宿舎に泊めてもらう心づもりで、翌日村を一旦離れることを決意する。1時20分、昼食。アナマファーナとサツマイモの葉とアンギービと小エビのスープ。ご飯には全く手をつけずにおかずだけ半分食べる。脈拍100を超す。急にビフテキのようなものが食べたくなる。2時30分検温、37・2度。5時、体温37度。ツアモーツを3個食べる。果物を無性に食べたかったが、口内の味がなくなり、あまり美味しいとは感じない。7時検温、36・7度、脈拍86。7時15分、夕食。アナマファーナと海魚の干物のスープ。急に食欲ができて全て平らげる。バナナ一本を食べる。8時40分眠る。

1983年3月23日(金)

よく眠れたが真夜中に目が覚める。悪寒。毛布を被ってふるえている。一時間ほどで悪寒がおさまり今度は身体が火照ってくる。40度を超えている体感。1時半に起きて小便をし水を飲む。4時にセデス服用。しばらくして汗が出る。5時30分検温39・1度。抗生物質シンクルキャップを服用。登山用リュック一つの荷物をつくり6時30分に村を出発。少年二人に町までリュックを持ってもらう。それでも、鼓動と呼吸は荒く、胃腸はむかむかし、膝はがくがくし、顔は火照り、加えて全身倦怠感のため、1kmぐらい歩いては10分ぐらい横になることを繰り返す。もともと村と町の間に交通機関はないものの、雨季末期のこの時期、道は水と泥濘で一段と通行に困難をきたす。 サレッテイ(牛が曳く荷車)を村人に依頼しなかったことを後悔。9時すぎにタクシー・ブルースの発着所のある町に着く。知人の家に立ち寄り、粉ミルクをお湯に溶いたものとお茶を飲ませてもらう。固形物を食べる気にはなれない。12時すぎシンクルキャップを服用。体感上は42度くらいに思え、座っていることさえだるく、商店の軒下のコンクリートのたたきに横になってタクシー・ブルースを待つ。周りで人々が「この外人、臭いね」などと話をしている(ほぼ一週間寝たきりで水浴はおろか汗をかいた衣服等を洗濯することもできなかった)。1時25分ようやくアンツヒヒーの町に行くスペール型のタクシー・ブルースが出発。
窮屈な車内では前席の背もたれに頭をもたれかけて肩で息をつく。 途中、雨水の貯まった道路の陥没箇所では数回乗客全員が車を降りることになり、乗降そのものがひどくしんどい。3時45分アンツヒヒーの町に到着。下宿先の家族の身内の家に投宿。その身内の男性にラヌンアンパングと冷水を貰い一息を着くとともに、マハザンガ行きの航空機の座席予約をしてきてもらう。床を延べて貰い倒れ込む。二度便所に行く。 そのうち一回は下痢。7時、夕食。海魚の干物のスープ。このおかずとご飯を食べることができない。ラヌンアンパングを取った後の柔らかいお焦げ飯を少し食べる。食後に食べたオレンジが美味しい。  

1983年3月24日(土)

夜はよく眠ることができたため、目覚めてからは少し気分が良い。朝食なし。12時、昼食。アナマファーナと白インゲンのスープ。このおかずとご飯を食べることができず、お焦げ飯に砂糖をかけて少し食べる。オレンジを食べ、買ってきてもらったレモンでレモネードを作って飲む。期待したほどにはレモネードが美味しく感じられない。一日横になっている。手首や肘の内側またこめかみに触れても脈が殆どとれない。 7時、夕食。お焦げ飯だけ食べる。移動中のため、一日検温せず。

1983年3月25日(日)

0時くらいまでぐっすりと眠れる。その後、蚊のため一睡もできず。 小便をしたり、水を飲んだり、シンクルキャップを服用したりする。7時30分、起きて顔を洗い、ニヴァキン3錠を定期服用。オレンジを2個食べ、朝食の代わりとする。下痢。 セデスを2錠服用。9時10分身内の男性とともにタクシーで空港に向かう。アンツヒヒーの町からマハザンガの町までは、道のりにして452km、直線距離でおよそ200km、双発のプロペラ機ツウィン・オッターでほぼ40分のフライト。空港に荷物の計量用のはかりがあったので体重を測ってみる。身長175cmで56・5kg。マダガスカル出発前とでは16kg、村に定住する前とでも8kg近い減少である。11時50分、飛行機離陸。機内でただ座席に座っていることさえも耐え難く辛い。40分ばかりのフライトがとてつもなく長い時間に感じられる。窓にもたれかかり、ひたすらマハザンガ空港に早く着くことを念じる。12時30分、マハザンガ空港到着。荷物を受け取る間に空港内のカウンターでよく冷えたコカコーラを飲み干す。えもいわれない美味しさ。1500FMGの言い値を1000FMGに値切って空港からタクシーを拾い、マルラカにある(当時の)大洋漁業の船員宿舎に向かう。1時5分にマルラカの船員宿舎に着く。しかし、宿舎内にはガルデイアン(警備員)の男性数名しかいない。2時すぎに女中さんたちがやってくる。疲労困憊し広間のソファーに身を横たえながら、大洋漁業の関係者の方が来られるのを待つ。5時半に大洋漁業の駐在員の森本さんと加さんが宿舎にやってくる。お二人とも私の姿を見るやいなや驚きの表情を顔に浮かべたことがわかる(それから後、マハザンガ州の山の中から私が歩いてやってきたとか中国人とマダガスカル人の混血の乞食がやってきたと思った等の伝説が大洋漁業を中心とする在マ邦人社会内部に流布する)。
風邪をひいてどうにもならないので快復するまで船員宿舎で休ませて欲しい旨を伝える。しかし、すぐにもう一人の駐在員の向井さんと三人で私を、個人診療室を開いているマダガスカル人医師の許へと連れていってくれる。医師が来るまで一時間近く待たされ、その間イスに座っていることが苦痛で、庭の芝生の上に横になってしまいたくなる。医師は問診と触診の結果、マラリアとの診断を下す。医師は、マラリアの薬の処方箋を書いてくれたうえで、水分を十分に摂るようにと注意を与えてくれる。また、公立病院の設備と医療体制は劣悪なためそこに入院するよりも、そのまま船員宿舎に宿泊して注射や投薬を受けるようにともアドヴァイスしてくれる。すぐに森本さんたちが車を走らせ、市内の薬局でキニマックス(キニーネ製剤)の注射薬・ニヴァキン・アスピリン・経口ビタミンアンプル薬を買い求めてくれる。医師のもとで、キニマックスの注射を受ける。宿舎に戻り、砂糖を入れコンデスミルクをお湯に溶かしたものを夕食代わりにつくってもらい飲む。アスピリンと経口ビタミンアンプル薬を服用。二階の一室に女中さんがベッドをしつらえてくれたが、貧血のような立ちくらみを覚え、一階から二階へと階段を一歩一歩立ち止まるようにしてようやくのことで上る。9時30分、床に就く。長い一日。

1983年3月26日(月)

5時、目をさます。7時30分、ネギと魚のみそ汁の朝食が運ばれてくるが、食べられず。体温36・8度。熱による不快感と圧迫感はなくなり、胃の気持ち悪さと全身の倦怠感だけが残る。11時30分、みそ汁とご飯の昼食が運ばれてくる。 ようやくみそ汁の中にご飯を入れて胃の中に流し込む。12時、脈拍75/分。室内にあった洗面台で歯を磨き、石鹸をぬって髭を剃る。終わると昨日と同様の貧血のような気分に襲われ、ベッドにひっくりかえる。3時、森本さんと加瀬さんが手配してくれた薬局の女性が立ち寄り、キニマックスの注射を臀部に打ってくれる。昨日の医師よりもこの女性のほうが注射は上手い。それでもこの注射は、しびれるような痛みが後に残る。女中さんに現金を渡し、コカコーラやソーダなどの清涼飲料水を買ってきてもらう。食欲はないものの、清涼飲料水等を飲むことはできるため、それによって水分とカロリーの補給を図る。
 5時体温、36・5度。7時、階下の食堂で船員さんや森次さん・田辺さん・加瀬さんたちと夕食。女中さんたちが肉入り雑炊を作ってくれたが、肉の臭いに拒絶的になっているため食べられず。代わりに、生のトマトをスライスしたものを次々と口に入れる。アスピリンと経口ビタミンアンプル薬を服用。11時眠る。

1983年3月27日(火)

5時、目を覚ます。6時30分、朝食。ご飯とみそ汁。ご飯には全く手をつけず、みそ汁だけ半分食べる。コーラをがぶ飲み。女中さんが熱の薬と言って生姜を煮出したお湯を持ってきてくれる。温水の風呂にいささかふらつくのを我慢しながら入り、身体を洗う。身体中の血の巡りがよくなったような心地よい気分。その後すぐに昼食。刺身・エビの丸焼き・フライドポテト・魚の煮付けなどの食事にも少しずつ箸をつけられるようになる。2時30分、薬局の女性がキニマックスの注射を打ちに来てくれる。女中さんが生のオレンジジュースを持ってきてくれるが、これが素晴らしく美味しく感じられる。5時30分、体温36・7度。7時すぎ夕食。コーラを飲みながら、刺身・牡蠣・焼き魚に手をつける。まだ、肉の臭いに耐えられないため、食卓にあったル・マザーヴァ(マダガスカル風スープ)は一匙も口にしない。夕食後、宿舎内の船員さんたちと紅白歌合戦のヴィデオを見る。アスピリンと経口ビタミンアンプル服用。11時眠る。

1983年3月28日(水)

5時30分、目を覚ます。6時30分、朝食。ご飯とみそ汁。ご飯を茶碗に半分とみそ汁を一杯食べる。7時、体温36・6度。体温は平熱を維持しているものの、食欲は回復しない。胃が小さくなったような気がする。コカコーラやソーダをがぶ飲みする状態が続く。12時10分、薬局の女性が来て、最後のキニマックスの注射を打ってくれる。1時過ぎ昼食。刺身・茹でたエビ・野 菜肉炒め・焼き肉。おかずだけをつっつく。昼寝するが寝汗をかく。6時30分、夕食。里芋の煮付け・トマトサラダ・カボチャと牛肉のトマト煮込みのおかずに一渡り箸をつける。アンタナナリヴから戻られた森本さんに「だいぶ元気になったね」と言われる。紅白歌合戦のヴィデオを見る。経口ビタミンアンプル薬を服用。11時30分、眠る。

1983年3月29日(木)

5時30分、目を覚ます。6時体温、36・9度、脈拍80。注射が終わった今日からニヴァキンを毎日3錠5日間飲むことになる。6時30分、朝食。みそ汁とご飯。今日はみそ汁を残して、ご飯を茶碗一杯平らげる。まだ、みそ汁とご飯の二つともを食べきることができない。12時20分、昼食。焼き肉一枚とキュウリのサラダだけ食べる。1時30分、風呂に入る。火曜日に比べれば、たちくらみのようなめまいを感じることもなく楽に入浴することができた。昼寝。4時30分、体温37・6度、脈拍90。一本調子で熱が下がっていただけに、マラリアのしつこさに驚く。6時20分、夕食。 焼きエビ・牛タンのステーキ・里芋の煮付け・鶏肉と春雨のスープ・キュウリのサラダ。それまで忌避していた油や脂の臭いを受けつけるようになり、牛タンを二枚それに春雨と鶏のスープまでをも口にする。アンタイサカ族出身というガルデイアンのおじさんと10時すぎまで話をする。ビタミンアンプル薬を服用。0時、眠る

1983年3月30日(金)

6時30分に起きる。すぐ朝食。みそ汁の汁だけを飲み、ご飯に佃煮海苔とウニをかけて食べる。コーヒーを飲む。7時30分、体温36・7度、脈拍90。 寝汗をかかなくなる。8時50分、船員宿舎に投宿してからはじめて外出。マハビーブの市場と書店に行く。身体がふわふわするような感覚。11時前に宿舎に戻る。体温36・9度、脈拍89。12時、昼食。カニの煮込み・茹でたエビ・牛肉と玉葱の炒め物・焼き魚。飯は少ししか食べられなかったが、おかずには全て箸をつける。昼食後ニヴァキン3錠とMP錠(サルファ剤とピリメサミンの合剤 医師の処方箋上はニヴァキンの服用だけであったが、自分で勝手に日本で入手していたMP錠を追加服用 副作用上危険な組み合わせのため、絶対にこのような異なる種類の抗マラリア剤の併用をしないこと ただし、パラドリンを毎日服用しながら一週間に一度クロロキン製剤を服用することは認められている)2錠を服用。昼寝。4時に目を覚まし検温、37・1度、脈拍61。書店で買い求めた新聞を読む。7時30分ら船員さんたちの歓送迎会のため、マハザンガ市内唯一の中華料理店からの仕出し料理の夕食。焼きそば・カニ卵・酢豚・モヤシと豚の炒め物・伊勢エビのサラダ・蛙のたつた揚げ・チャーハン。焼きそばと刺身を主として食べる。まだ中華料理はいささか胃に重すぎる。1981年以来私を知っている機関長の方に「ずいぶん痩せたね」と言われる。あらためて一週間前のことを想い出し、ぞっとする。ビタミンアンプル薬服用。10時40分眠る。

1983年3月31日(土)

6時すぎ目を覚ます。体温36・8度、脈拍78。6時30分、朝食。 ご飯とみそ汁の双方を平らげる。11時30分、昼食。ビフテキ・魚の唐揚げ・キャベツとトマトのサラダ・卵焼き。広間にあった文庫本の中から山本七平の『私の中の日本』を借りて読む。ご飯を食べずに、ビフテキとサラダを食べる。ようやく脂と油の臭い等に対する忌避感が薄れる。2時検温、37度、脈拍79。ニヴァキン3錠とMP錠2錠を服用。 5時45分、再度検温37・3度、脈拍78。午後になると体温が上昇してくることに苛立ちを覚える。7時過ぎ夕食。キュウリとトマトのサラダ・魚の煮付け・焼きそば・肉とニンジンとインゲンの炒め物。とりわけサラダを好んで食べる。11時10分眠る。

1983年4月1日(日)

6時、目を覚ます。体温36・7度、脈拍79。このところ体温と脈拍は全く一定。しかし、早朝の体温としては若干高い上、午後から夕方にかけて37度代に上昇することを繰り返している。7時過ぎ朝食。ご飯とみそ汁。今日はご飯を残す。なかなか、食欲が一定しない。今日は阿川弘之の文庫『米内光政』を読む。12時すぎ昼食。 ビフテキ・ジャガイモとニンジンと玉葱の煮付け・魚の唐揚げ・キュウリのサラダ。なんとかご飯を茶碗に一杯とおかずの双方を平らげる。食後入浴。お湯が熱くて身体が火照る。 風呂からあがって検温。37度、脈拍105。脈拍が早いのは、入浴のせいと思う。4時、体温36・9度。脈拍82。ニヴァキン3錠とMP錠2錠を服用。7時30分、夕食。焼き魚・茹でたエビ・キュウリのサラダ・牛肉とアナマファーナのル・マザーヴァ。ご飯とル・マザーヴァをなんとか平らげる。10時30分眠る。

1983年4月2日(月)

6時30分、目を覚ます。体温36・6度、脈拍73。7時、朝食。ご飯とみそ汁の双方を平らげる。8時10分、外出。タクシー・ブルースの発着所に行き、翌日のアンタナナリヴ行きの便の切符を買い求める バザーリ・ベをのぞき、マダガスカル航空の事務所に行き、帰りのアンツヒヒー行きの便を予約し切符を買う。9時過ぎに宿舎に戻る。12時、昼食。ビフテキ・マグロとイカの刺身・ニンジンとジャガイモの煮付け。刺身を中心に食べる。食後昼寝。3時30分、起きて検温。37・1度、脈拍88。最後のニヴァキンとMP錠を服用。平熱より高いが、特に熱っぽさや気分の悪さを感じることはない。7時40分、夕食。牛肉の串焼き・マグロとイカの刺身・イカと大根の煮付け・肉とカボチャとニンジンの煮付け・キュウリの塩もみ。自分でも驚くくらいこれらのおかずを食べる。11時、眠る。

1983年4月3日(火)

6時過ぎ目を覚ます。体温36・5度、脈拍80。7時、朝食。ご飯・みそ汁・リンゴ・コーヒー。9時過ぎ外出。蒸し暑い上にひどく身体がだるい。マハビーブの市場でアンタナナリヴの下宿先の家庭へのお土産にするためにカニを買う。20匹で1000FMG。9時45分に宿舎に戻る。12時、昼食。キスの刺身・イカに煮付けなど。しかし、今日は胃がむかむかしほとんど食べられず。3時過ぎにタクシー・ブルースの発着所に行く。しかしながら、雨のため途中の道路状況が悪く、アンタナナリヴからの車がまだ到着していないため、出発は翌朝の午前5時とタクシー・ブルース会社から発表がある。再び宿舎に戻る。6時、夕食。刺身・鶏の煮込み・茹でたカニ・カレー。カレーを二皿食べる。それでも全身の疲労感が強い。9時30分、眠る。

1983年4月4日(水)

午前1時30分までぐっすりと眠る。その後は、蚊に襲われ、眠ることができず。午前4時30分に宿舎を出て、徒歩で発着所に向かう。空には星が輝き、夜明け前の空気の冷たさが心地よい。予定よりも少し遅れて午前5時50分、プジョー504ステーションワゴンタイプのタクシー・ブルースは、アンタナナリヴに向けマハザンガの町を後にする。

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